汚点と因果の交差点 前編
日中は人で賑わうコンビニも、夜11時をまわると人も疎らになってくる。
OLの石本 紗枝(23)はこの日、合コンの帰りでコンビニに立ち寄ろうとしていた。
紗枝はいわゆる飛び抜けた美人ではないが、性格の良さと垢抜けた雰囲気を持ち合わせていた。
結った茶髪に眼鏡がよく似合う、華やかさと清楚さを兼ね備えた女性である。
現在恋人はいないものの、今日の合コンでは紗枝を気に入った男性と連絡先の交換をした。
自分はこのまま順調に、満喫した人生を送ることになるのだろう……漠然とだが、紗枝はそんな予感を持っていた。
「らっしゃいませー」
コンビニに気だるそうな女性店員の声が響く。
やる気のなさそうにレジに立つ店員を尻目に、紗枝はアルコール飲料のコーナーへと歩みを進めた。
客は紗枝以外に一人もおらず、店内に流れる陽気なBGMも空回りしている。
(とりあえず一本でいいかな……?)
合コンの成功を祝うため、部屋で飲むためのチューハイを手に取る紗枝。
それほど酒に強いわけではないが、嬉しい事があった時には一人でひっそりと祝うことにしていた。
紗枝はチューハイとつまみ数点を手に取り、レジへと向かった。
レジの女性店員が、明らかにだるそうに紗枝のほうを一瞥する。
年齢は紗枝と同じくらいだが、金髪にピアスをした上に濃い目の化粧をしている。
(接客するにしては派手すぎない……?)
内心訝しがる紗枝だったが、もちろん口には出さずに商品をレジに置く。
無愛想に淡々とレジを通す店員だったが、チューハイを通そうとした時にバーコードリーダーから警告音が鳴った。
店員が「チッ」とめんどくさそうに舌打ちする。あまりの態度の悪さに、さすがに紗枝も不快になる。
「年齢分かんないとアルコール販売できないんでー。身分証とかないっすか?」
店員はそんな紗枝の様子も意に介さず、変わらぬ調子で語りかける。
やむを得ず免許証を取り出し、店員に差し出す紗枝。
店員は紗枝の免許証を一瞥して返そうとしたが、次の瞬間驚いたような表情で免許証を二度見した。
そのまましばらく固まっていたかと思うと、意地の悪そうな笑みを浮かべて紗枝の顔を凝視した。
「な、なんですか?」
不安そうに尋ねる紗枝。だが店員は腕を組んでニヤニヤと笑うだけである。
「あの……免許証返してもらえます?」
店員の様子に不穏なものを感じた紗枝は、眉をひそめて抗議する。
ようやく店員が発した言葉は、紗枝の予想外のものだった。
「久しぶりじゃん。ポチ」
その言葉を聞いた紗枝は、反射的に一歩後ろに下がった。
そのまま手で胸を押さえ、目を見開いたまま固まってしまった。
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高校のころ、紗枝はいじめを受けていた。
あまり強く主張できない紗枝は、クラスの中心にいた5人の女子からターゲットにされていたのだ。
日常的にパシリ扱いや命令を受け、『ポチ』という屈辱的なあだ名までつけられていた。
「ポチ。甘いもん食べたいんだけど、昼休み中に人数分買ってこれる?」
「ひ、昼休み中ですか。でももう10分しか」
同級生たちの見ている前で命令され、卑屈な笑顔で応対する紗枝。
「いーじゃん。午後の授業に遅刻しても。ダッシュで行ってこい」
「は、はい」
報復の恐ろしさを考えると、どんな無茶な命令でも絶対に服従せざるを得なかった。
そんな紗枝を指差して、爆笑するいじめグループ。
紗枝は高校時代、彼女たちのせいで常に惨めな思いを味わってきた。
紗枝にとって最も嫌だったのは、放課後行われる『パシリ学』の授業だった。
当然学校が行う正式な授業ではなく、いじめグループが紗枝を使って行う遊びの一環である。
いじめグループの気まぐれで行われるこの『授業』は、紗枝にパシリの心得を仕込むための物だった。
紗枝は空いている教室の席に一人座らせられ、いじめグループの女子が教壇に立って行う『授業』を聞く。
国語や数学と同様、『パシリ学』と書かれたノートを用意させられ、いじめグループの言葉をメモさせられた。
「パシリなんだから、授業なんかよりあたしらの命令を優先しなよ」
「は、はい」
「今日みたく午後の授業に間に合わなくてもいーからね」
「当然。あと遅刻したら笑い取って盛り上げるくらいしなよ」
「わ、笑いって」
「『うんこしてました〜!』みたいなね」
「キャハハ!そうそう。『ビックリするほど臭かったです!』とか」
「……そ、そんな」
「ほらちゃんとノート取りなよ!後でテストするよ?」
「っ……は、はい」
紗枝は『パシリ学』のノートに、惨めで屈辱的な文字を書き込んでいく。
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・授業より皆さんの命令を優先する
・そのせいで遅刻したら笑いを取る
例 【うんこしてました。びっくりするほど臭かったです】
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「うんこの下り大事だから。ちゃんと線引いときな」
言われるがまま、蛍光ペンでノートに線を引く紗枝。
この屈辱的な授業は日常的に行われていた。
たまに思いついたように抜き打ちテストをされるため、家でも復習は欠かせなかった。
おかげで成績は落ちたが、パシリの心得だけはどんどん身についていった。
大学に進学し、いじめグループと離れることができた紗枝。
今までの自分を変えようとして行った大学デビューが成功し、ようやく順調な人生が始まった。
大学では人並みに遊びや恋愛を満喫し、そのまま就職してOLになった。
ようやく当時の事も忘れ、本当の意味で過去と決別できた。
そう思っていた矢先の出来事に、紗枝は強い眩暈を覚えた。
まさか立ち寄ったコンビニで、当時のいじめグループのリーダーと再会することになろうとは……。
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「あたしのことは覚えてるよね?ポチ」
「え、えぇ。愛花理さんですよね」
愛花理は紗枝をいじめていた主犯である。紗枝にとって最も怖かった相手だ。
「久しぶりじゃーん。元気してた?」
「はい。それなりに」
高校時代の癖が抜けず、敬語で接してしまう紗枝。
あの汚点とも言える過去とは決別したはずだ。毅然とした態度で接しなければならない。
それなのに……。
「ちょっと待ってなよ。ラインで莉乃にも連絡するから」
「り、莉乃さんも……」
「そ。この近くに住んでんだよ」
莉乃もまた、紗枝をいじめていたグループの中心人物である。
主に愛花理と莉乃の二人が、いじめの主導をしていたと言える。
「ポチのことLINEに書いたら、莉乃もすぐ来るってさ。楽しみでしょ」
ニヤニヤと笑いを浮かべながら、愛花理が嬉しそうに語りかける。
今現在、愛花理たちが紗枝に対してどのように思っているのかはわからない。
しかし未だに紗枝のことをポチと呼んでいる以上、対等だとは思っていないことが伺える。
紗枝はいち早くこの場を離れたかったが、愛花理に免許証を返してもらっていないため、帰れずにいた。
「あの、免許証……」
「いーから待ってろって」
「は、はい」
愛花理に強く言われると、紗枝は条件反射で萎縮してしまう。
当時徹底的に刷り込まれた恐怖心が、未だにトラウマとなっているのだ。
「つーか何?そのオシャレな格好」
「そ、そうでもないですよ」
合コン帰りのお洒落な服装を、愛花理が目ざとく指摘する。
卑屈に笑いながら謙遜する紗枝だったが……
「デート?合コン?」
「いえ。あの。そういうのじゃないです」
「ずいぶん垢抜けたよね。大学デビューか社会人デビューでもした?」
「いえ……」
「したんだろ?嘘つくなよ」
愛花理に一段低い声で凄まれると、恐怖のあまり鼓動が早くなる。
「し、しました」
「大学デビュー?それとも社会人?」
「大学デビュー、です」
「へぇ。ポチも出世したもんだね」
「ど、どうも」
曖昧な返事をしながら、この苦境をなんとか乗り切ろうとする紗枝。
その後も何度か免許証を返してくれるよう頼んでみたが、見事に却下された。
そうこうしているうちに、もう一人のいじめ主犯である莉乃が到着する。
「うわ!こいつほんとにポチ?」
「ね。必死こいて大学デビューしたんだって」
「ふーん。そーなんだ」
薄笑いを浮かべながら紗枝に近づく莉乃。
紗枝の結った髪をわしづかみにし、ぐいっと引っ張る。
「痛っ……」
「愛花理。バイトいつおわんの?」
「もう終わり。ってことで外行こっか」
「あ、あの。帰らないと」
「だーめ。5年ぶりの再会だし、今日はとことん付き合えよ」
「そ。積もる話もあるしね」
免許証も取り上げられたまま、コンビニの外に連れ出される紗枝。
決別したはずの過去が、再び紗枝の身に舞い戻ってきた。
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